歌舞伎座 五月大歌舞伎・弐

夜の部。1階一桁列20番台。襲名弁当、白鷺宝(土産持ち帰り)。もう千穐楽を迎えてしまった五月大歌舞伎だが、感想を投稿するのを忘れていた。危なく五月が終わるところである。ちなみに観劇日は千穐楽ではない。

一、「義経千本桜?川連法眼館の場」
     佐藤忠信/忠信実ハ源九郎狐
          .....菊五郎
     静御前.......菊之助
     源義経.......海老蔵
     駿河次郎......團 蔵
     亀井六郎......松 緑
     川連法眼......左團次
     法眼妻飛鳥.....田之助

源九郎狐が自分と初音の鼓の関係を説明するくだりは本当に感動。自分の顔がせつなさというか悲しさで歪んでいることにふと気がついて、ふーっと顔面と肩の力を抜いたくらいだ。ケレンというものが客が湧きたたせるためのものではなく、演技で引き込んで引き込んで狭くなった観客の視野をもう一度舞台全体にパーッと拡げる効果を狙って工夫された技術なのだと思わされる。いや、よく知らんけど。

菊之助さんの静御前が素敵だった。本物の忠信を自分と一緒に旅をしてきた忠信と思っている時と、義経に命じられて鼓でおびき出した狐忠信を詮議する時のきりっとした様子との演じ分けが良かった。これは私が「そういえば道中こんなことが…」と思い返して語る部分の菊之助さんの演技に惹き付けられたからではないかと思う。菊之助さん、綺麗だねぇ。七月のシェークスピアが楽しみだな。

二、「鷺娘」
     鷺の精.....玉三郎

玉三郎さんを拝見するのは久しぶりかも、と思って調べてみたら昨年11月の松竹座(先代萩)以来とは!割と良く拝見する機会がある方だと思っていたのだが、どうやらこのブログを始める前のことだった。

さて、鷺娘…と思ったのだが、感想を書くのが難しいなぁ。客席の電気が点いた時に力が抜けてぐったりしたわ。とにかく息を詰めて見入ってしまっていて、引き抜きとかしてくれなかったら窒息しちゃうよ。独特の世界だ。人であって人ではなく、女であって女でない。和であって和でない何かが隠れているように思える。西洋の香りがするかといえばするような気もするし、ありえないとも思う。所作事、舞踊、舞踊劇、踊り、をどり、ダンス、バレエ…、どれでもあってどれでもないから歌舞伎。

三、「野田版研辰の討たれ」
     守山辰次...勘九郎改め勘三郎
     粟津奥方萩の江/姉娘およし
         .....福助
     妹娘おみね....扇雀
     平井九市郎....染五郎
     平井才次郎....勘太郎
     宮田新左衛門...七之助
     八見伝内/宿屋番頭友七
         .....弥十郎
     町田定助/僧良観
         .....橋之助
     平井市郎右衛門..三津五郎

初演の平成十三(2001)年八月納涼歌舞伎も観ているが、あれから四年が経とうとしている。辰次は勘三郎になり、およしは歌留多、九市郎はアイスホッケー選手で、才次郎は新選組の隊士となり、おみねは参議院議長…。

「感想を三十字程度で述べよ。」との問いを出されたら「前回は突っ走り感一杯だったが、今回は観客に向かってきているように感じた。」というのが私の解答。尤も私自身が初演をみているせいなのかもしれないが、前回は客席も突っ走り感一杯で熱病に侵されているかのようだったからなぁ。今回の上演は地に足が着いているように感じた。それでいてテンポや流れを欠いたわけではいないため、階級社会や群集心理、仇討ちされる側とする側…等々、笑いながら観ているくせに笑えない話であることをしっかりと感じ取ることができた。

三津五郎さんがからくりの板を踏みそうで踏まないところ「たっぷり!」って声を掛けたくなる。福助さんのぶっ飛び具合も板についたものである。前回は粟津の奥方の印象が強かった(というか、衝撃が凄かった)のだが、今回は後半のおよしの方が印象に残ったかも。共通して思ったことは「頼む。およし役やらせてくれ。」

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ようやく拝見した十八代目勘三郎襲名披露。残念ながら今月のみとなってしまったが昼も夜も楽しかった。この三ヶ月間は連日連夜大盛況だったようで何よりでござんす。

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