メジロラモーヌ逝く

北海道洞爺村のメジロ牧場で今朝、亡くなったとのこと。

メジロラモーヌ(享年22歳)

言わずと知れた史上初の牝馬クラッシック三冠馬。1986年の桜花賞、オークス、エリザベス女王杯(当時は秋華賞は無かった)を制した。12戦9勝、うち重賞7勝。顕彰馬(87年選出)。

私の牝馬好きはこのメジロラモーヌとダイナアクトレスで始まったようなものだからなぁ。かなりミーハー(笑)。まぁ、ハイセイコーで始まった競馬歴っすから…って、お前、年はいくつだよ。かなりショック。老衰であるとのことがせめてもの救いか。結局、仔は走らなかったなぁ。おっと、昨年生まれた仔がいたかな。

メジロラモーヌを偲び、以前持っていたサイトで牝馬について書いた文章(1999年)があったので、若干の加筆修正を加えて掲載してみる。

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?名牝と女傑? 1999/01/23初稿、2005/09/22加筆修正 

JRAの競走番組に起因するところが大きいのかもしれないが、3歳クラッシックで一冠した牝馬、まかり間違って(失礼)二冠でもした日にゃあ、その後はどんなレースに出走すりゃ良いのよって話だ。いやまぁ、エアグルーヴのように牡馬をも一蹴してしまうような能力がある馬なら良い。メジロドーベルのように牝馬の中では抜きんでているものの、牡馬との激しい連戦に注文もしくは疑問符がついてしまう馬のことを考えると、現在の古馬牝馬のレース体系には少々不満があるんだなぁ。

でも、Blood Sportsと呼ばれる競馬を考えると、能力や血統など様々な側面において優秀な牝馬には繁殖という活躍の場を与えねばならないっていうのも現実だったりする。んー、暗に早期引退を促しているのか? 女のヒトの職場環境に似てる? 人間は子供持っても働けるけれど、競走馬はそうはいかない…。

うわっ! 全然お気楽じゃないぞ! というわけで、気楽に行きますわ。

競走馬自体がそうであるが、特に牝馬は第一線で活躍できる馬の数も時期も本当に限られていて、その競走生命は桜の見頃と似ている。そんなところが私が牝馬を応援してしまう所以なのかもしれない。とにかく、牝馬が頑張る姿が好きなんだなぁ。

「女傑」「名牝」という言葉がある。辞書(三省堂小型版より)によると、女傑とは「女性の豪傑」とあり、豪傑は「力が強くて武勇に優れた様」とある。やっぱり、牡馬と対等に渡り合えた時に女傑という呼ばれ方をするのかな。女傑・ヒシアマゾンと言う人はいても、女傑・ダイナアクトレスと言う人は少ないだろう。んー、確かにレースっぷりも影響するな。仮に牡馬と互角に戦ったとしてもダイナアクトレスやメジロラモーヌだと女傑ってつかなそうだな。場名も関係ありそうだ。そもそも女傑って言葉自体、最近になって使うようになった気もする。マックスビューティやメジロラモーヌ、ダイナアクトレスetc.の頃には名牝って言葉が主流だったのかも。

エアグルーヴは女傑なのだろうか?いや、もちろんレースの様は立派に女傑でしょう。でも、エアグルーヴは女帝って呼ばれることが多いかも。天皇賞・秋を勝っているからかな。皇室・王室絡みのレース名に勝つと帝がつくのかねね。でもメジロドーベルは、エリザベス女王杯を勝ったけれど女帝のイメージはない。女傑ってこともないだろうから、やっぱり名牝か? んー、それも何か違う。シーキングザパールはレースによって波があり過ぎて称号というか、タイトルがつきにくい馬かも。キョウエイマーチは凄くキレイな顔してる…って、話それてるし。

名牝と女傑についての私なりの考えのまとめ。名牝とつく馬は優雅な雰囲気があり、女傑の場合は力で相手を圧倒する雰囲気を持つ。戦績がいまひとつでも繁殖と言う場での優秀さがあれば(例えば生まれてくる仔が片っ端からG1を勝つとか、連体するとかすれば、その母馬は自らの競走成績に関係なく、名牝の称号をあげても良いとも思う。

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メジロラモーヌは繁殖の場では名牝にはなれなかった。それでも、三冠馬という成績はJRA史上に輝かしく残っているし、私にとっての名馬であることに変わりは無い。近いうち、競馬博物館に行ってこようかな。

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23日追記:

メジロラモーヌについては、Racing Blog 2005「メジロラモーヌ 逝く」(偶然にも同じタイトルで申し訳ないです。)に丁寧かつ簡潔にまとめられているので、リンクならびにトラックバックさせて頂く。

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