一昨日、仕事帰りに上手いこと時間が合ったので早速鑑賞。公開初日に観るなど十五年振り。十五年前に公開初日に行った映画は…と、ここで記したところで、検索してたどりついた方をガッカリさせるだけなのでまた別の機会に。このブログを始めてから映画の感想はここまでわずか三本。観に行かないわ、偏っているわで、いかんともし難い。観たいなぁとは思っても観に行きたいとまで思う映画ってあまり無いのよね。それより何より、推敲して所々削ってみたもののやはり長い文章になってしまった。しばしお付き合いを。
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以前にこの映画が楽しみだと書いたが、原作を読むべきか読まざるべきかで悩んでいた。書き添えておくとテレビ版は観ていない。 五月末に買った原作の文庫本。散々悩んだ挙句、公開一週間前に読むことに決めた。読まずに観ていたら今頃どんな気持ちだったのかは知る由もないのだが、この映画を観て良かったことは確かだし、読んでから観て良かったような気もする。そして今また原作を読み返そうと思っている。いや、その前にもう一度映画を観よう。
まず景色が素晴らしい。愛知博で出展された「レーザー ドリームシアター」とやらで観たかったと思うくらいである。愛知博には行っていないので実物がどんなだか知らないけれど縦約10m×横約50mの超ワイド大型画面らしい。 四季がハッキリしている国に生まれ育って良かった。花が咲き、雨が降り、強い日差しに照らされた稲はやがてこうべを垂れ、葉が落ちて雪が降る。一見単調と思えるその繰り返しの中に出会いと別れがあり、人生の転機や節目が訪れるのだ。
石田卓也くん演じる少年期の文四郎。父との別れの場面での、泣きたいし怒りたい、どうすれば良いのか、何を言えば良いのかわからない苦悶の表情にグッときた。もちろんあの場面は緒方拳さんの素晴らしさは言わずもがなだが、彼も置き去りにならずにくらいついていたと思う。セリフのつたなさもあるかもしれないが、色んな事柄をどんどん自分の中に抱え込んでいく鬱屈とした雰囲気を終始漂わせていたことが、後の欅御殿の一件で里村宅に乗り込んで怒りを爆発させた場面で生きたように感じる。
ふく役の佐津川愛美ちゃんが最近出演されたTVドラマを、途中までふく役の人だとは全く知らずにこの子可愛いなぁなどと思いながら観ていた。荷車をひく文四郎を手伝う時の顔もさることながら、江戸へ旅立つ前に文四郎宅を訪ねた時のせつなく可愛らしく、そして美しい表情にハッとさせられた。意思の強そうなその顔と目から、江戸での人生を乗り越えていけそうなところを伺わせる。
観終えて一番印象に残ったのは、最後の再会の場面で「ふく…」と呼ばれたときの木村佳乃さんの顔である。帰りの電車で何度も何度もあの顔が浮かんできた。小説でもそうだが、江戸でのふくについては与之助が伝える噂話以外は全くと言って良いほど描かれていない。しかしこの映画は、ふくが“ふく”であり、かつ“お福さま”で無ければ成り立たない。木村佳乃さんは映画後半になってようやく“お福さま”として登場し、いきなり文四郎が訪ねてくる。“お福さま”でいるよう心掛けていた彼女が最後の再会で堪えきれずに“ふく”に戻ってしまったあの表情に見惚れてしまった。
観る前は、監督をはじめ制作側の方々が映画化最大の敵とも言える時間的制約に対して、様々なエピソードを断腸の思いで削ったことであろうと想像していたが今は少し違う。原作を読むか否かを決めることも兼ねて色々なサイトを廻っていたのだが、電網郊外散歩道さんの9月22日の記事で、文四郎とふくの再会は連載終了後に加筆されたものだと知った。小説の最終章は「蝉しぐれ」と題がつけられており、再会の場面である。これが加筆されたものであろうか。鑑賞後の今、この映画の「蝉しぐれ」というタイトルは小説の「蝉しぐれ」でもあるが、その最終章「蝉しぐれ」でないかと感じている。様々なエピソードを削ぎ落としたというよりも、最終章「蝉しぐれ」のためのエピソードを選び集めて映像化したものが「映画『蝉しぐれ』」ではないかと勝手に受け止めている。私自身が原作を読み終えて人心地ついた時、最も映像で観たいと思った場面が最終章だったからかもしれない。
そして映像化された最終章は、原作よりも動きが無い。と言うより、文四郎とふく以外のヒト・モノを削ぎ落としてしまっているのだ。描かずに映像化した結果、先に述べたふくの表情はもちろんのこと、聴き覚え、読んだ記憶のある言葉ばかりなのにも関わらず、私の心に深く染み込んできたのだと思う。
ハッピーエンドではないけれどバッドエンドでもない。二人の初恋は、ふくが藩主の側室になった時に終わっている。その時に互いに伝えられなかった想いを、成就する道が無くなってしまってからようやく確認しあうことができ、二人はその気持ちを胸におさめて互いの息災を祈りつつ、目の前にある自分の道を歩いて行くしかない。蛇に噛まれた指、二人で見た花火、友との喧嘩、父の切腹、一足違いで会えなかった日、江戸へ連れて行かれた日…。移ろいゆく季節の中、忘れようとしても忘れられないものがまた一つ増えたのである。
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こうして感想を書いてみると「あぁ、あの場面もう一回観たい…」と、いくつもいくつも浮かんでくる。「こうだったら良かったな」と思うところが無いわけではないが、それはこの作品に入り込む余地は無いだろう。
おすすめの観かたは「天気の良い日の朝一番の回を観た後、景色の良いところで気が済むまでボーッと過ごす」といった感じかな。
このサイトに何度か来て頂いたことのある方ならご存知だと思うが私は染さんのファンで、この映画を観るきっかけの大部分はそれだったりもする。もちろん文四郎についても色んな場面が印象深く心に残っている。しかしファンであるがゆえに、観る前から他の役者さんとは少し心持ちが異なってしまうことも事実で、なかなか書き出せないのだ。と、それにしても本当に染さんの感想を何にも書いてないなぁ。まぁ、書いているうちに文章が(というより私が)壊れてくるからやめておくという話もあったりするのだが。
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本文中に掲載させて頂いた電網郊外散歩道さんの映画感想の記事にトラックバック。翌日の原作に関する話題と合わせて読むことで、さらに深まりますよ。
※本来は原作、映画とも「蝉」の字は旧字体である。
追記:平成20年2月2日土曜日
何故かこのエントリーだけやたらとスパムコメントが入るため、コメント受付を止めてみます。
こんにちは。「電網郊外散歩道」の記事を紹介していただいて、ありがとうございます。映画も、実に良かった。美しい映像作品になっていたと思います。
原作の素晴らしさはもちろんですが、テレビの金曜時代劇もなかなか良かった。ビデオに録画したものを、ときどき思い出したように見ています。
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narkejpさん、ありがとうございます。
本当に分かりやすい解説で、みる前みた後ともに楽しく拝見しました。
「電網郊外散歩道」には、これからも時折寄せて頂きますね。
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