書けば楽になるかと思ったがそうでもなかった話

父が逝ってひと月。

あっという間に二月尽である。
一昨日は初めての月命日であり、30年ほど前に亡くなった叔父の命日でもあった。
叔父が亡くなってもう30年になるだろうか。
四人兄弟の長男、次男で家業を継いでいた。
同じ月命日になるなんてね、と通夜の時に叔母と話していたっけ。

四人と書いたが、父の下には私の叔母にあたる方がいた。
幼くして夭折したらしい。
祖母の命日は彼女のそれと同じ日だ。
四人の息子に囲まれて賑やかに過ごしていた祖母であったが、最晩年は幾度もの危機を乗り越え、意地でこの日まで漕ぎ着けたかのように亡くなった。
祖母には祖母の人生があったのだ。
娘の命日の翌日に生まれた初孫が私で、祖母が娘の代わりと思ったか分からないが、随分、かなり、そりゃあもう可愛がられた。
一方で父は私が男だったらと思っていたし、そう言われたこともあったが、私の性格が幸いしたのか、いつの間にか観念してくれていた。
婿養子を取るとか、自らが思うところに嫁がせるとか、祖母の何かしらの思惑から逃れたくて家を出た。
何故か当時の私は、婿を取らずに自分が継ぐという発想には至らなかった。
後も継がず、孫どころか花嫁姿を父に見せることもなかった。
自分の来た道に後悔はないが、悪いことをしたと思っている。
帰省の度に、大したことのない給料で生活するより戻ってこいというようなことを言われていたが、10年近く経った頃に初めて仕事のことを聞かれた。
認めたのか諦めたのかは分からないが、ただただ嬉しかった。
東京で大学生活を送っていた父こそ、家など継がずにそのまま東京で就職したかったに違いない。

社会に出てみて、自分は何の不自由もなく育ったことを実感したし、今こうして好き勝手に生きているのも、両親のおかげだし感謝している。
それを父に伝える機会がないままになってしまったことが悲しい。
父親っ子の自覚はあったが、自分で思っていた以上にそうだったようだ。
漫画か小説か何かで、悲し過ぎると泣けないようなセリフを読んだ記憶があるけれど、あれは本当だった。
私の場合、茫然として泣けないのとは違う。
泣いてしまったら、目に溜まった涙を流してしまったら、何もかもが終わりそうなのだ。
何かは分からない何かが崩壊してしまいそうな、何処かは分からない何処かに踏み込んでしまいそうな恐怖を感じて思いとどまることを繰り返している。
いつか収まるのかもしれないし、その前に泣いてしまうのかもしれない。
ただ、周囲からは変わった様子もなく過ごしているように見える筈だから大丈夫。

最後に、生前(と言っても随分前のことだが)の父に言われた教えをひとつ。
「人気のない逃げ馬は抑えておけ」

心配して損したとか思わないでくださいな(笑)

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