特別な人

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先週半ばに父の四十九日で帰省した。
法要を済ませた翌日、同窓の友人たちと食事をして、朝方まで飲んだ。
父が亡くなる以前から入っていた予定はこなしていたが、亡くなってから決めた予定はこれが初めてだった。
ウチは仏教だが、亡くなれば法要の日取りは自然と決まる。
葬儀に来てくれた友人たちには次の帰省は四十九日と伝えていたし、時間が取れれば食事をしようと話していた。
平日に出向かねばならない諸々の手続きの予定を組み込み、皆と会えそうな日取りを中でも親しい一人に報せた。
彼は、私を「ボッコボコに囲む会」と称して葬儀に来てくれた仲間を再招集して、一席設けてくれた。

春の異動の時期とも重なり、集う友人の中に転勤や昇進を内示された者もいたので、試しに東京在住の仲間の一人に、誰某の昇進を祝う会で飲むからおいでよと声を掛けた。
というか、嫌がらせのように数日置きに日時や場所を送りつけてみたが、答えは「?」「???」だった。
そりゃそうだろう。
ただでさえ忙しいことを知っているくせに札幌の店に来いとか何言ってんだこの女、だ。
食事をしている最中、皆は元気かと彼からメールが来た。
参加してくれた連中の写真を送りつつ「なんで来てねーんだよ!」と返した。

夜はこれからとばかりに二軒目に繰り出して程なく、東京に居るはずの彼が店の場所を聞いてきた。
「○○さんはいるの?」と、私以外にも女性が誰か残っていることの確認も怠らない。
そして、彼は現れた。
札幌の方の友人たちの驚きと喜びの表情が嬉しかった。
父が亡くなったことは話してはあったが、それと察して来てくれたのかは分からない。
飛行機代は…すまないが香典だと思ってくれ(笑)。

私を囲む会をセッティングしてくれた彼は転勤になり、何年か振りで東京に在を移す。
私がボッコボコに囲む会をセッティングする番だ。
在京の彼も今度は飛行機代は掛からないし、都合はつけてくれるだろう。

自分のことを誰かに相談することのない私だが、何かを決めたとき、辛いことがあったとき、何でも良いから一言欲しいとき、何も言わずにいて欲しいとき、彼ら二人にはコトあるごとに自分勝手にぶつけてきたけれど、この年までなんとか見捨てられずにいる。
私は彼らに何かをしてあげられるわけでもないし、親友なのか何なのか分からないけれど、私にとっては二人がかけがえのない存在であることは確かだ。

彼らがこのブログを知らないからこそ書くけれど、二人には本当に感謝しているし、いつも頼りにしている、これからも私の心の支えである。

二人にずっと「恋」し続けていたい。

あと何年、何回会えるのだろう。
知り合ってから今日までより、誰かが居なくなる日までの方が短いであろう年齢になってしまった。
自分の寿命を知る術はないけれど、彼らよりは先に眠りたい。
見送るのは御免だ。
私に何かあったときは、どなたかがここに書いてあることに気がついて、彼らに私のこの気持ちを伝えてください。

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