寿 初春大歌舞伎・昼の部

ようやくの初芝居。

昼の部・一階11列(旧る列)20番台。初春弁当、めで鯛焼き。歌舞伎に限らずこの辺りには何度も座ったことがあるけれど、幕が開くと「あぁ、あと3つくらい前になら…」と、いわゆる「と・ち・り」が良いと言われるのを実感。土曜日のせいか普段より若い人が多かったかな。ちなみに夜の部は千穐楽前日に観劇の予定。

では、各演目の感想をどうぞ。

一、「松廼寿操三番叟(まつのことぶきあやつりさんばそう)」
     三番叟...染五郎
     後見....猿 弥
     千歳....高麗蔵
     翁.....歌 六

一昨年の三月に歌舞伎座で上演された時は2列目とさすがに近すぎたが今回は身体全体が良く見える。千歳と翁の舞がついていて厳かかつ優雅に始まり、三番叟が登場して一気に華やぐ。人形の動きにあわせて観客もどよめいたり笑ったりと正月らしくて良い。

箱から出されて運ばれる間は「出てきた、出てきた」とざわついているのだが、舞台中央にクテッと置かれると一気に静まり返り、後見が糸を引いて手先の動きを確認するところでどっと湧く。この瞬間って楽しい。輪乗りからゲート入り、全馬おさまってスターターの合図を待ち、ガシャンと開くゲート…場所は歌舞伎座だからさしずめG1レースと似ている…かどうかは知らんけど。

後見の猿弥さんが少しふっくらして温かみのあるお顔なせいか、染五郎さんが余計に人形らしく感じられる。猿弥さんって後見というか人形操りな風情が感じられて良かった。人形だから体重を感じさせないように着地する三番叟に合わせて足を踏み鳴らして人が踊っている時と同じような音を入れる後見。初演は1853年(嘉永6年)だそうだが面白いこと考えるよなぁ。そのまま静かに踊る技を披露するためアクロバティックな演目に育ってしまう可能性はなかったんだろうか。そうすると観客は固唾を呑むばかりで驚いたり笑ったりできないんだよな。めでたい三番叟であることが肝心なわけで、抑えるべきところを抑えているからこそ型から外した部分の可笑しさが心地良くなることを心得て作られている。

染五郎さんは本当に柔らかくて軽々しくてよく跳びよく回りよく滑る。糸が絡まってふらふらしたり、くるくると止まらなくなったりと見えない糸を見せて踊る姿に魅せられる。最後に葛桶に跳び乗る所などはふわりと…いや「り」もつかないくらいにふわっと人形のように動かずに乗ってしまう。後見(操り役ではない方)との息の合わせ方も絶妙なのだろう、乗るとわかっていてもいつの間にか乗ってしまっている。幕が引かれる間も浮かせた足をぶらぶらとさせて拍手と笑いで締めくくられる。黄色(蜜柑色?)の足袋が可愛い。

ところで、私は染五郎さんを観ていると時折すごく冷たいような不思議な感覚になることがある。冷酷な人だとか血も涙も無い人に見えるというような不快な感覚ではない。あ、冷酷な役は合うと思うし演じて欲しい。質感っていうのかなぁ。無機物的なというか、今、体内の血流止めてる?って聞きたくなるような…アンドロイドのような、と言ってもアンドロイドになんて会ったことはないしなぁ。とにかくそんなナマモノっぽくない何かを感じることがあることと関係があるかは知らないけれど、私は染五郎さんの操三番叟は大好きだ。他の方の操三番叟を拝見したことが無いのは残念でもあるが。

染五郎さん贔屓としては年明け最初の演目を主演で勤めてらっしゃる姿に、普段の観劇より嬉しさ楽しさ各20倍増(当社比)。

二、「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」鶴ヶ岡八幡社頭の場
     梶原平三....吉右衛門
     六郎太夫....段四郎
     娘梢......福 助
     奴菊平.....染五郎
     囚人剣菱呑助..秀 調
     俣野五郎....歌 昇
     大庭三郎....左團次

六郎太夫親娘を思いやりつつ大庭三郎の様子を伺い俣野五郎を牽制する梶原平三。周囲の気配を伺いながら思案をめぐらせてその場を収めるさまを客にみせるのだが、窮地を救うヒーローだからちょこまかと忙しくなったり下品になってはいけないどころかさらに人物の大きさを感じさせなくてはならない。吉右衛門さんはこういう役が似合う。劇場内を自分のオーラで包み込むような存在感がある。

しかし私はこの幕、福助さんに惹かれてしまった。女形さん好きなのでついつい視線が行きがちになってしまう。刀を売ろうとしている相手は大庭なのだが、その隣にいる梶原を気にする仕草や視線に「梶原さま、どうか助けてやって下さいまし」という気持ちが湧いてくる。一旦引っ込んだ後、六郎太夫が自ら二つ胴の試し切りされようとしているところを見つけてからの梢にすっかりはまってしまった。存在しない証文を自分が取りに行かされている間に六郎太夫がしようとしていたことを悟ってからの梢の必死な姿に目頭が熱くなり、六郎太夫が切られていないことが分かった時は一緒にホッとしてしまった。大庭一行が立ち去ってからは普通の感覚に戻って石切も花道もゆったりと堪能したのだが、それまでは物凄く梢の近くにいてこの出来事を観ていたような感覚だった。

染五郎さんは伝令役で本当にちょこっとの出演。今回は奴だが飛脚で演じられる型もあるそうで、花道より現れて舞台中央で書状を渡した後また花道に引っ込む。こういうタイプの役は花道だけで帰ってしまったり、舞台を横切るような感じででてきたりと色々あるが、大きなストーリーの中では関係している事柄を伝えに来るものの、現在舞台上で展開している話ぶった切りで出てくるわけだから、颯爽と出てきて帰って行くけれど観ている程に楽じゃないよな。もちろん、話をぶった切らずに展開させるために出てくるケースもある。染五郎さんもいつか梶原平三を演じる日が来るでしょうか。

舞台に限らずドラマや映画でも感情移入して観ることは少ない自分だが、初芝居からあの感覚を味わえるとは福助さんに感謝。今年の観劇運は良いのかもしれない。

三、「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)」本郷木戸前勢揃いより赤門捕物まで

     竹垣道玄、天神町梅吉..幸四郎
     女按摩お兼.......福 助
     盤石石松、お朝.....宗之助
     おせつ.........鐵之助
     伊勢屋与兵衛......幸右衛門
     家主喜兵衛.......錦 吾
     日蔭町松蔵.......三津五郎
        ? ? ? ? ?
     昼ッ子尾之吉......染五郎
      ※木戸前のみの方は染さんだけm(__)m

「めくらながやうめがかがとび」と高速で10回続けて言ってみて。どこが「か」で、どれが「が」かわからなくなるから。

勢揃いは華やかで良い。後ろの席から「染五郎だけ白いわよ。」「あら、可愛いじゃない。」そういやぁ、前髪のある役っていつ以来?花道に並んでの台詞が終わって舞台に向かうと、加賀鳶のみなさんが出てくる出てくる。幕が開く前に席につけずに待たされていた前方の客が入ってくる入ってくる(苦笑)。筋書きのインタビューで加賀鳶で出演される幹部役者さんが一様に「他の人のセリフを喰わないように注意しないと…」とコメントされていた。芦燕さん、危なかったッス。私はいつも三津五郎さんが登場してくると、最初のホントに最初の一目見た瞬間だけなのだが何故か「三津五郎さん…だよ…ね?」と確認してしまう。すぐ次の瞬間からはなんの違和感もないのだが。「ワーズワースの庭で」を見すぎた?

お朝役の宗之助さん。この人の娘役は好きだなぁ。いい具合の哀れ感が相手を酷いヤツにみせてくれる。でも以前に幸四郎さん主催の梨園座の芝居(仲蔵千本桜)で、ちょっと姉さん風な雰囲気の役をされていたのが印象的だった。もうちょい色々な役をみてみたい楽しみな役者さんの一人。

観劇前は幸四郎さんと福助さんのコンビで悪党って濃すぎやしないかい?と、少々怖かったのだがそんなことは無くて一安心。この先どんな目にあっても悪党稼業をやめる気はなく、何かあればお兼のことも見捨てるんだろうなぁという道玄と、捨てられればその時はその時、今はこんなことしているのが楽しいからいいのさって感じのお兼。練ったつもりがすぐにボロが出てくるゆすりをしに乗りこんでいきそうな雰囲気は出ていた…気はする。このお二人が並んでいる絵面が想像していたよりは違和感がなかったので、違うタイプの悪党でまた観てみたい。福助さんはひとつ前の芝居での梢役とのギャップが素晴らしくて見取狂言の楽しさを味わえた。

四、「女伊達(おんなだて)」
     女伊達...芝 翫
     男伊達...高麗蔵
     男伊達...歌 昇

歌舞伎座サイトの演目のみどころで「女侠客が二人の男(こちらも侠客)に喧嘩を売られて…」とあるので間違っているのかもしれないけど、最初の出の芝翫さんが愛嬌があって可愛かったなぁ。ちょっと意外な発見。高麗蔵さんが素敵でした。売り切れ予約待ちになっている写真があったのもわかる。最近は女形をなさらないなぁと思っていたところ、ようやく今月の夜の部でありました。楽しみ。全体的にスッキリとしていながら華やかさがある舞台で、気分の良い打ち出しでした。

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