歌舞伎座 二月大歌舞伎

夜の部。1階一桁列10番台。白魚の天ぷらそば、桜小金つば(土産持ち帰り)。今月はどうにも昼の部に行く予定が立てられず、夜の部のみの観劇になりそう。と言いつつ、博多には行くのだが(苦笑)。

では各演目の感想をどうぞ。

一、「ぢいさんばあさん」
     美濃部伊織...仁左衛門
     伊織妻るん...菊五郎

前回この芝居を観たのは平成十四年四月歌舞伎座(六世歌右衛門一年祭、二代目魁春襲名披露)。その時は勘九郎さんと玉三郎さんの組み合わせだった。

自分がこのお芝居を好きなのかと考えると悩むのだが、泣いてしまうことも事実。前回も泣いたし今回も泣いた。他人にストーリーを教えていても涙ぐむことがある。ここまで来るとちょっと自分でもアホらしいが、まあ仕方がない。「どんな人が演じても泣けるのか」をこの先の歌舞伎観劇人生のテーマの一つにして、これがかかる時には可能な限り観に行くことにしたい。

仁左衛門さんの伊織はやさしそうで素敵な旦那さまなのだが、限りなくヒョロッとに近くスラッとしているために、あの若緑というのか若葉色の着物はちょっと貧粗に見えしまい今ひとつ似合わないように思う(これは言っても仕方がないことだが)。菊五郎さんのるんは「ザ・良妻」という雰囲気。この旦那、奥さんがいないとダメなんだろうなぁ、甘えてるんだろうなぁという感じだ。仁左衛門さん贔屓の方たちはこれでまた「ニザさん、カワイイ♪」とかなっちゃうのかな。いや、まあ、実際自分もカワイイとか思ってしまったわけだが。

下嶋甚右衛門には團蔵さん。團蔵さんのお顔って、ちょっと小泉総理と似てない?似てないか。この役って、刀を抜かれても仕方がないけれど切られて当然ではダメなんだよね。嫌われているけど憎まれてはいないっていうのかな。伊織が買った刀を見た時に一瞬満足そうな顔をして、思い直したように悪態つき始めるところなんか印象的だった。伊織がお金を借りにきたこと、本当は嬉しかったんだと思う。すごく寂しい人なんだよなぁ。その哀れみというか悲しさが出てくる團蔵さんの下嶋は好きだ。

三十七年後の美濃部夫妻。あのスラッとした伊織が縮んでいる。でもって、はしゃっぎっぷりが凄すぎ(笑)。これでまた「ニザさん、カワイイ♪」とかなっちゃうんだぜ。そして菊五郎さんのるん、やられたッス。駕籠を降りて挨拶してお付の人たちを帰すところでもう私は白旗降参。確か三回(かな?)挨拶する筈。挨拶するたびに十年ずつ積まれて、最後に我が家を見上げた時にズシンと三十七年分積み上がる。隣の人たちが「あら、赤ちゃんはどうしたのかしら?子供がいたわよね?」「この後、出てくるんじゃない?大きくなってさぁ♪」なんてのを話しているのが耳に入ってしまい、「坊は疱瘡で死んじゃったんだよぉぉぉぉ!」と心の中で思いきり叫ぶ私だったのだ。二人が再会してからの細かいやり取りについては端折るが、客を笑わせたり泣かせたりしつつ三十七年経っても変わらない、甘える夫と賢き良妻の関係がセリフだけではなく、黙っている時にも感じられるところが凄いなぁと感じた。

周囲も泣いている観客が多かったので、私も遠慮なく涙した。お年を召した観客よりも三十代、四十代(くらいにみえる人たち)に泣いている人が多かったように思う。自分でも泣いている癖に周囲のそんな様子を探っていることに、果たしてあの二人のように良い歳の取り方を出来るのか少々不安になった。

二「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)?野崎村(のざきむら)」
     お光.....芝 翫
     久松.....鴈治郎
     お常.....田之助
     下女およし..吉之丞
     久作.....富十郎
     お染.....雀右衛門

始まる前から背筋も伸びる「人間国宝 五重の塔」。若輩者の私なんぞはみなさまが舞台に揃ってらっしゃるだけで「ありがたや、ありがたや」と拝んでしまう豪華なメンバー。ストーリー自体はなんだか救われなくて「どうなのよっ!」って感じだけど。

お光、可愛くて悲しかった。「急に祝言なんて」とグチる一方で嬉しくてたまらない様子…なんだろう、あの可愛さ。お染がやって来て、最初は「何さ、あんたなんて」と強気なお光なのに、だんだんと見ているこっちがやるせなくなってくる。お光の変化に合わせて照明まで暗くなっていってるように感じる。

今月は伊織ぢいさんのはじけっぷりとお光のラブコメ具合がいい味出てます。

お光が香箱の人形を「こんなもの、こんなもの」って投げてよこす時に「なんで、そんなことするの?」って感じで戸惑っているお染。愛しい久松がいる筈の家から同じ年頃の女が出てきて、大店のお嬢さんにしてみりゃありえない行動を取っているわけよ。大して動作もないし何も喋らないお染から「わけのわからん???」状態なのが感じ取れるだよなぁ。

久松は本当は武家の出。そこはかとなく感じられる品の良さが大事で、やっぱりお光とは添わない人であることをじんわり感じさせる。それにしても、鴈治郎さんってなんであんなに若々しいのかしら?ぁりゃ、ぁゃしぃ。

久作もお光同様、前半のおかしみと後半の継娘と病の妻を思う気持ちの対比が凄い。お光と久松に肩を揉ませたりしている場面では真ん丸な顔で、まるで「祭」を唄っているサブちゃんみたいなのに(ヘンな例えで申し訳ない)お染と久松に説き聞かせる時は一気に歳取ってるよ。

田之助さんは大店の女将らしく飲み込むように立ち聞き…って、どんなよ。「この一件、お預けします」と言いたくなる風情。が、しかし、But! 吉之丞さんが出ていらっしゃるのは嬉しいんだけど、吉之丞さんは武家の後家でお願いします。下女は困る。お染の乳母ってことなら許す。

結論:この域に来ると、上演に際して必死なのは周囲だけなのかな。

三「二人椀久(ににんわんきゅう)」
     椀屋久兵衛...仁左衛門
     松山太夫....孝太郎

なんだかね、仁左衛門さんとか孝太郎さんとか、囃子方に唄方とか、観なきゃならんところが多すぎて、何処を観ていたら良いのかわからなくなった。席がちょいと前過ぎたのだろう。でも結局、いつのまにか孝太郎さんを追っていた。今まで抱いていた孝太郎さんのイメージより、とてもすっきりとしていて若々しく、小悪魔的な太夫。これって二人椀久として、太夫としてアリなのか知らんけど、私にとってはアリ。いい歳した男が若い女に狂ってしまうの図。いいんじゃない?狂わせてみたいねぇ、大人の男を…あ、もう若い女じゃない(泣)。

幕間の喫煙所で、男性客がポスターを見ながら「やっぱりこの前より地味だよなぁ。ちょっと寝ちゃったよ。」「あぁ、そうかもしれないな。でも俺はこういうの好きだよ。」との会話を小耳に挟む。んー、自分はまだまだ何を観ても楽しいッス。

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